第一次AIブームってなに?
(出典:パブリックドメインQ)
人工知能(AI)が始まったのはいつ?
近年「人工知能(Artificial Intelligence)」の開発が盛んになってきていますね。ロボット掃除機「ルンバ」が発売された時などは、「ついにここまで来たか!」と驚いたものです。そして現在ではsiriなどのように様々な質問に応答するものなどもあり、多種多様になってきています。
しかしそもそもAIの開発が始まったのはいつ頃からなんでしょうか?まず、プログラム可能なデジタルコンピューターが発明されたのは1940年代だったそうです。そして本格的にAI開発に関する研究が始まったのは1956年の「ダートマス会議」からだと言われており、今「AI開発」は第三次ブームを迎えています。
「ダートマス会議」はアメリカのニューハンプシャー州にあるダートマス大学で開催された人工知能の研究に関する会議で、ダートマス大学に在籍していたジョン・マッカーシーが主催となって、個々に人工知能の研究している主要な研究者に対し「集まって話し合い、人工知能に関する基礎研究を進めよう」と提案したことがきっかけとなっています。
また、初めて「人工知能(AI)」という言葉が使われたのも、この会議を開くための提案書だったと言われています。そしてこれを受けて開かれたダートマス会議は約一か月に及び、基本的にブレインストーミングの場であったと言われています。
ダートマス会議では何が話し合われたのか?
ダートマス会議で主に話し合われたのは「探索木」と呼ばれる探索システムです。探索木とは「最適な手順を発見するため」のシステムのことですが、分かりやすくするために具体例を挙げてみたいと思います。
例えば「リバーシ(オセロ)」というゲームは、お互い自分の色の石で相手の石を挟み、石を自分の色に変えていって最終的に自分の色の石の数が相手よりも多ければ勝ちとなります。このゲームにおいて最終的な目標は「より多く自分の色の石を獲得する」ことで、それぞれ交互に指す手によって自分の色の石の数が増減する中、システムは最終的に最も多くの数を獲得できる手を「最善手」としてOUTPUTする仕組みとなっています。
また別の例を挙げると「迷路の解」、というのも探索木の技術から導くことができます。迷路は多くの分岐点から成り立っていて、「スタート」から始まり、行き止まることなく「ゴール」にたどり着けばクリアです。この解を探索木で導き出そうとした場合には、まず分岐点ごとに任意の固有(1つしかない)数字、または文字を振ってやります。もちろんスタートとゴールにも振ります。
後は選ぶ数字(文字)のパターンを網羅し、最終的にゴールにたどり着いたものの中で最も選択回数の少ないものを「最適な解」としてOUTPUTします。
探索木はチェスや将棋、囲碁などのボードゲームの指し手をAI化する際に適していて、どのようにプログラムすれば「最適な解」を「いかに早く」OUTPUTできるか、が議論されました。
(出典:Pixabay)
なぜ第一次AIブームは去ったのか?
このように経過した「第一次AIブーム」ですが、なぜ終わってしまったのでしょう?それはAIの限界が見えてしまったからです。
先ほど例に挙げたリバーシの「自分の色の石が相手よりも多ければ勝ち」や迷路の「スタートからゴールまで行ければクリア」などのようにルールが明確であればいいのですが、現実世界ではそうではありません。
なぜなら、AIが最適な解を導き出すためには先ほど迷路の例で挙げた「分岐点に任意の数字、文字を振る」などのように、現実世界の状態をコンピューターが判断できる形に置き換えてあげなければならず、これが難しいのです。
また、当時のコンピューターの処理能力は今よりもずっと低かったため、選択肢やその結果が膨大となる(組合せ爆発が起きてしまう)現実世界について、最適な解を速やかに導き出すということが困難だった、というのもあります。つまり対応できる範囲が狭く、リバーシやチェスなどのおもちゃの問題(トイ問題)くらいにしか使えないということで、ブームは収束していきました。
第一次ブームの中、AI研究者は楽観的な予測をしていました。「一世代の内に人工知能を生み出す問題のほとんどは解決されるだろう」、「3年から8年の間に、平均的な人間の一般的な知能を備えた機会が登場するだろう」。そのため、限界が見えたAI開発は、その反動であっけなく冷めていったのです。